


寺の谷を埋める楓から、平野に残る最後の暖かい午後まで、秋は何かを為すより眺めるための季節である。取り入れは済み、空気はようやく澄み、光は稲田の上を低く金色に渡っていく。人は花を見に出かけるのと同じように、葉を見に出かける。同じ道、同じ人出、半年を隔てて、正反対の心持ちで。
武家は楓を、桜の兄と読んだ。春の教えは、美が速やかに終わるということ。秋の教えは、美は人目に晒されたまま、一色ずつゆっくりとも終わるということだ。そして人は、盛りを過ぎた後半生に、季節がはっきりと傾いていくなかで、最もよい仕事を求められることがある。葉の紅は、すでに下された決意の紅だった。

- 紅葉前線
- 北から南へ
- 鮮やかさの条件
- 冷える夜
- もみじがり
- 紅葉狩
紅葉前線は桜とは逆に走る。北と高地に始まり、寒さとともに下り、南へ向かう。
最も強い色は、冷たい夜と明るい昼を必要とする。暖かい秋は鈍い秋になる。人の記憶に残る年は、いつも厳しかった年だ。
葉を見に出かけることには専用の語があり、少なくとも平安の宮廷まで遡る。花見と同じ衝動が、半年後に、逆向きに現れたものである。
日本の秋は衰えではなく、ひとつの演目である。イロハモミジは幾世紀にもわたり、葉をより小さく、色をより激しくする方向へ育てられ、その成果は見られるべき場所に植えられてきた。参道、池の畔、川の向こう岸。
桜が短さを教えるのに対し、紅葉はもっと厄介なことを教える。それは数週間かかる。移り変わるのを見ていられる。慣れてしまう時間があるのだ。おそらくそのほうが、なお悪い。


